「悲愴」と「悲壮」の意味が違うのはさすがに厳しい
「悲壮」と「悲愴」という言葉は意味の異なる違う言葉というのを知った。
てっきり「悲愴」は「悲壮」の中二版だと思いこんでた。 「青い」を「蒼い」って書いたりするそういうものの仲間なんだと解釈していた。
きっかけは「社長が訊く」だった。 任天堂の岩田社長が亡くなったタイミングで各メディアが岩田社長コンテンツをまとめていたのもあり、岩田社長の記事を読みまくっているときにある記事の※注が目に止まった。
宮本 必死、いいですよね。 岩田 はい、必死は応援します。 ただ、たとえばわたし自身も、 必死に仕事をしてる自信はあるけど、 「にこにこしながら必死」がいいなぁ(笑)。 糸井 あーー、そうだね! 岩田 「悲愴」(※注)なのはいやです。 ※注 当初、「悲壮」と表記しておりましたが、正しくは「悲愴」でした。誤表記でありましたことをお詫びし、本文中の「悲壮」を「悲愴」に すべて訂正いたします。(2011年11月30日) 糸井 でも、表現に「悲愴」が出ちゃうのは 「必死」が足らないんじゃないかね。 岩田 ははははは、 「悲愴」なのは「必死」が足らない。 宮本 「必死」っていうのは、どっちかというと、 周りが止めに入るようなものなのでね。 「悲愴」なのはなんか、本人がまわりに 自分をそう見てほしいと思ってるっていうか。 糸井 なるほどね(笑)。
あれ?「悲壮」でいいんじゃないの?と思った。
当初、「悲壮」と表記しておりましたが、正しくは「悲愴」でした。誤表記でありましたことをお詫びし、本文中の「悲壮」を「悲愴」に すべて訂正いたします。
まあでもわざわざ任天堂が後から訂正を入れるのだから「悲愴」の方が正しいのだろうけどどっちも「悲しそう」みたいな意味じゃないのかな。
ぐぐってみた。
しょうへん(爿)の悲壮はこんな意味。
悲壮 悲しい中にも雄々しくりっぱなところがあること。また、そのさま。「―な決意」
りっしんべん(忄)の悲愴はこんな意味。
悲愴 悲しく痛ましいこと。また、そのさま。「―な面持ち」「―感」
出典:デジタル大辞泉
おお、なんか違う。 悲壮の方には前向きさがあるぞ。
ということは、ベートーヴェンの「悲愴」は「ただただ悲しいさま」という意味なのか。
なんか勝手に優しい感じがするなとか思ってたんですけどそのへんは誤った解釈なのか。
『大ソナタ悲愴』という標題は、ベートーヴェン自身が名づけた数少ない標題の例として知られる。ベートーヴェン自身が楽曲に標題を与えることは珍しく、ピアノソナタのなかではほかに『告別』があるのみで、その他の標題(『月光』など)はベートーヴェン以外が名づけている。したがって、この標題には特別な意味があるとみなされることも多い。
ピアノソナタ第8番 (ベートーヴェン) - Wikipedia
特別な意味ってなんだ。。
閑話休題。
日本語の特徴に同音異義語が多いというのがあるけど、普段はコンテキストや漢字の意味から判断できるため、ネイティブな人はそんなに不便を感じることはない。
ただ、さすがにこれは難しい。 「壮」という言葉には「意気が盛んで勇ましい」という意味があって、「愴」には「悲しみに打ちひしがれる」という意味があるので漢字の意味からは判断できるのかもしれないが、 どちらも頭に「悲」がつくうえに同じ発音というのは、なかなか性格が悪いのではなかろうか。
これは完全に予想なのだけど、明治あたりにベートーヴェンかチャイコフスキーのPathétique だかПатетическая を訳すときに日本語の適当な訳が見つからなくて悲しいって意味の言葉を2つくっつけておけばいいかなとかそういう理由で「悲愴」という言葉は生まれたんじゃないかな。 「悲壮」はそれよりも前からある言葉な気がする。 完全に思い込みですが。
ちなみに個人的にはホロビッツの弾く悲愴が好きです。