アンチフラジャイルの日本批評

タレブのアンチフラジャイルにおける日本についての言及がどれも批判的だったのでメモしておく。
アンチフラジャイルの中で官僚的(ソビエト・ハーバード流)で目的論ばかりが先行し投資効果が乏しい政策ばかり行っている国として日本が描かれている。

そんなフラジャイルなことを行っている日本が1,500年とか2,000年の歴史を持っているもっともアンチフラジャイルな国という事実がまた面白い。
費用対効果の乏しい政策を国が行うことは国家の存続とは関係がないのか、それとも日本は明日には食われる七面鳥なのか。

起業家は死ぬわけじゃないが、精神的に落ちこみ、社会のつまはじきに遭うだろう。特に日本では。

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私が仕事をするとしたら、短時間だけ集中して働き、残りの時間は何もせず(何もしないというのは本当に何もしないという意味)、体力ややる気が回復するのを待つ(そのほうがつらくない)。日本のように、睡眠を削ってだらだらと退屈に仕事を続けたりはしない。

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アメリカは、合理的に試行錯誤する驚くべき能力を持っている。失敗し、やり直し、また失敗しても、そんなに恥を書くことはない。それと比べて現代の日本はどうだろう。失敗は恥になる。だから人々は金融や原子力のリスクを絨毯の下に隠そうとする。小さな利益のために、ダイナマイトの上に座ろうとする。朽ちた英雄、つまり"高貴なる敗北"に経緯を払ってきた昔の日本とは、奇妙なくらい対照的だ。

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たとえば、日本では、経済産業省による投資効果は乏しい。

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問題は、役人たちのやり方が目的論すぎるということだ(特に日本)。

このとおり非生産的で失敗を許容せず不都合なリスクには目をそらす国それが日本だ。
役人たちのやり方なんてどの国も非効率的だろう(それこそ官僚的という言葉があるくらいだし)が、ここ20年以上の低成長という事実があるから言い訳はできても残念ながら否定はできない。

タレブは実践家の試行の繰り返しの中から生まれる予想外の結果がイノベーションとなりそれが世界を変える推進力になるのだとこのアンチフラジャイルの中で主張している。
イノベーションは官僚的な手続きから生まれることはないのだ。

予算の使いみちについて事細かに書類に記入しなければいけない日本の研究助成やベンチャー支援のシステムをみるとたしかになあと思わざるをえない。

実践家に自由と資本を与えられなければ、タレブの批判している日本の状況は改善しないと思うのだが残念ながらまだその兆しはない。

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