ランドール・マンローの"What if?" が英語学習にいいと思ってリスト化した

目次

マンローのホワット・イフ?:野球のボールを光速で投げたらどうなるかの質問とWebへのリンクをリスト化しました。

質問リスト

ホワット・イフ?とはなんぞや

光の90%の速度で野球のボールを投げるとどうなる?という質問と回答がTwitterで流れてきたことがあった。

これはランドール・マンローという漫画家が書いたホワット・イフ?という書籍から抜粋したものだ。

いわく、
光の90%の速度でピッチャーがマウンドからボールを投げると ボールはプラズマと化し70ナノ秒後にバッターの元へと到達した後すべてを崩壊させる。
球場の1.5km以内のものはすべて消え去り市街地は猛火に包まれキノコ雲が立ち上がる。
この状況はメジャーリーグベースボール規則6.08(b)によれば死球と判定されバッターは出塁することができる
と。

なにこれ面白い。
これがホワット・イフ?だ。

ホワット・イフ?:野球のボールを光速で投げたらどうなるか

ホワット・イフ?:野球のボールを光速で投げたらどうなるか

ランドール・マンロー

ランドール・マンローについて簡単に紹介すると彼はアメリカの漫画家(一般的な日本の漫画家と比べるとかなりシンプルな画風だ)。大学で物理を学んだ後、ロボティクスのエンジニアとしてNASAで働いていたが、現在はxkcdに専念しインターネットコミック作家としてて活躍している。
TEDの動画もあったので興味ある人は見てみてほしい。自分が想像してたイメージと違ってなかなかのナイスガイである。
しゃべっていいんだけどしゃべれないノッポさん風なビル・ゲイツをイメージしてたんだけど全然違った。

もうちょっとホワット・イフ?について

https://what-if.xkcd.com/

ランドール・マンローが運営するxkcd のコンテンツの一つに"What if?"があって、突拍子もない読者からの質問に、マンローが大真面目に科学的な計算を行いウィットに富んだ回答をするというコンテンツだ。。

はじめの「光の90%の速度で野球のボールを投げると〜」というTwitterのネタも掲載されている。

例えば、以下の様な質問がある(この質問はリストの中にはない)。

本の虫: What if? : 高額な靴箱

サイズ11の靴箱に詰め込める最も高額なものって何? (例えば、64GBのMicroSDカードに大量の購入済み音楽を詰め込むとか)

という質問に対し

靴箱に高額なものを詰め込んだ結果の上限は、どうやら20億ドルぐらいだ。面白いことに、この上限は高額な候補どれでも同じぐらいだ。

と必要となるデータを調査し、それに基づき計算を行っている。

TEDの動画で以下のように語っている。

どの場合でも 既知の情報をもとにモデルを作り 未知の情報を推測する 手がかりにするのです。 まるで目指す数値の 周囲を巡っているようです。 これが面白いんです。 この時に使う数学は 決して高度なものではなく パズルの数独を解くのと それほど変わりません。 結局 情報を一つずつ検討しながら 1〜2日調査をしました。

理科に興味のあるなら小学生も理解できるし面白いと思える内容だ。
僕が子供の頃に流行った柳田理科雄空想科学読本に近いものがある。

本題とは関係のないところでなぜかオランダが世界を征服したり、北米大陸の北西部を焼け野原とするドライヤー?を使った家族のもとに電気使用量の請求書が届いたりといった場面が描かれていたりするのもいい。

英語の勉強にいいかも

で、

  • 手元に日本語訳の書籍がある。
  • 本家のサイトに行けば翻訳がある。
  • そして面白い。

お、これは英語の勉強になるのではと思いついた。

書籍版の"What if?" の質問と、それに対応するWebのリンクを貼ったのが上記のリストだ。
リンクが貼られていないものに関しては書籍用の書きおろしだろう。
もしかしたら抽出漏れとかリンク先が間違っているとかもあるかもしれない。 そのときはやさしくご指摘いただけると助かります。

馬鹿らしいからやらないこと

誰にでもできるけど馬鹿らしいからやらないこと。
それをあえてやることで新しい発見があるかもしれない。

"What if?"はそんな誰もがやらないことをやってみようかなという気にさせてくれる。
そして手軽に情報にアクセスできるこの現代はそんな馬鹿馬鹿しいことをやってみるのにもっとも適した時代だと思う。

ホワット・イフ?:野球のボールを光速で投げたらどうなるか

人類は純粋な論理的思考ができずプログラムも書けない

小学校低学年にはプログラミング教育は意味がない?

子どもへのプログラミング教育は早ければ早いほどいいというものではない。
最近子どもへのプログラミング教育が話題になることが多いけど、恐らく小学3年生までの子どもへの効果はほとんどなく、小学4年生でもほとんどの子どもには難しいと思う。
人間の知能の発達には段階があって、必要な段階に達していないうちにそれが必要な教育を行っても効果は望めない。

なるほどどうだろう。

感覚運動期、前操作期、具体的操作期、形式的操作期という4つの段階がある中で、プログラミングができるようになるには、具体的操作期から形式的操作期に移行する必要があるようだ。形式的操作期になると抽象的な考え方ができるようになるという。この移行の時期が、書かれているところによって違うけど9歳から12歳くらい。

あ、抽象化した考え方、たとえば数学みたいに純粋なロジックだけのプログラミングを教えてもあんまり効果ないということか。
ただ、小学生が授業で習うのは算数であって数学ではない。
小学生には算数のようなプログラミングを教えないといけない。 でないと、プログラムの授業は死んだ目で授業を受けるか授業を放棄してすきなことをやる子どもたちばかりになってしまう。
プログラミングを小学校低学年に数学を教える学習指導要領が組まれているとしたら、それはさすがに教育者の手抜きだ。

人間は純粋な論理的思考を行うように進化していない

突然ですがここで問題です。

  • 20歳未満はアルコールは飲めない

日本の法律ではこのように定めれている。
以下に4枚のカードがある。 表には年齢が書かれている。 裏には飲み物が書かれている。

さて、年齢が20歳未満であればアルコール飲料は飲めないというルールが破られていないかどうか確かめるためにどの2枚のカードをひっくり返せばいいでしょうか。*1 f:id:snowlong:20160108000847p:plain

この問題はおそらく多くの人が解けるはずだ。

一方、この問題はどうだろう。
同じような問題のはずなのにとたんに難しくなる。

以下に4枚のカードがある。 カードの表に偶数が書かれていれば、裏には原色の名前が書かれている。
さて、このことが正しいことを証明するにはどの2枚のカードをひっくり返せばいいだろう。 f:id:snowlong:20160108000852p:plain

この問題の正答率は25%以下で、論理についての教育を受けていても同じだ。 *2

私たちの脳はこのような後者のような一般的な論理的な問題を解くように配線されていない。 その代わり、前者のような社会的な問題であれば専用の配線がなされているのだ。
つまり、社会的な問題であれば私たちは論理的な思考ができるということだ。*3

そんな人類が皆抽象化された論理的な思考を学び、教える。
かなりチャレンジングだと思う。

さらに言うと残念ながらプログラミングなんてできるやつはできるし、 できないやつは全くできない という結果もあるのだ。

本の虫: 60%の人間はプログラミングの素質がない

プログラミングの素質がある人間の割合は、年齢や性別や教育レベルでは変わらないようだ。プログラミングの素質のある人間は、40%ぐらいであろう。つまり、残りの60%は、プログラミングの素質がないのだ。

ちなみに私は仕事でプログラムを書くが悲しいことにその残りの60%に含まれる。

無意味な文脈から一貫した規則を形成して適用できる人間は、プログラミングの素質がある。無意味な文脈から多くの規則を生成してバラバラに適用する人間は、プログラミングを学ぶのが難しい。

小学生から「無意味な文脈から一貫した規則を形成」させることを教えたらプログラミングが得意な人間ばかりになるのだろうか。

プログラミングはみんなやるべきだと個人的には思うが全員ができるようにはならないみたいだ。

じゃあどんなふうに教えればいいのか

子どもは暗記が得意だ。
とある幼稚園で国旗と国名を覚えさせるということをやっていて子どもたちは簡単に覚えてしまっていてタイとかバングラデシュとかフィンランドなど数十カ国の国名を国旗から言い当てることができて驚いたことがある。
ポケモン妖怪ウォッチなんかの数百種類のキャラクターの名前だって覚えられる。

この記憶領域に「論理的な思考方法」を植え付けられないだろうか。
と思いついたところで力尽きた。

裏表のカードの問題は意識は傍観者であるという人間の脳について書かれた本に載ってあった。

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)

*1:15とビールのカードだ。

*2:http://www.fitelson.org/probability/wason.pdf

*3:歴史を学んでそうだろうかと思うことは多いが。

Amazonプライムビデオはダメ人間製造機でない、いまのところ

革命体験できず

「iPadPro×hulu×布団」は、一つの革命であり、勃興する新時代のライフスタイルである。

この記事を読んで自分もこの革命を体験したい!と年末にいろいろと買い物するついでにAmazonプライム 会員になってみた。 いままでプライムのお試しするをクリックしなかったおかげで一ヶ月無料だ。
プライム会員になるついでに動画も見放題ですよってのは商売うまいですね。

Hulu やU-NEXTに比べると本数はまだまだ少ないのでどれを見ればいいのか迷っちゃうということはない。 これまた幸いなことにiPadProも僕は持ってないので布団の中で快適な空間を演出することもできない。
どうやらそれほど時間を無駄にしなくてもすみそうだ。 これはついてる、ラッキーだ。

おそらくAmazonは独自コンテンツを売りにしていくようだ。 例えば、BBCの人気番組だったTopGear をクビになった司会者ジェレミーにかなりの好条件でオファーを出し、他の司会者たちといっしょに新しいTopGear を作成している。

独自コンテンツをつくるとなると時間もお金もかかるから短期的には不利だが、長期的には同じようなコンテンツを配信している同業他社との価格勝負に突入しないための戦略なのだろう。正しい。

Amazonはあえて黒字を出さずに儲け分を投資に全力を注ぐという戦略を取っている。
これはジェフ・ベゾスをはじめとする経営陣の判断が正しいと市場が認識する限り有利に働く。 ここ5年のAmazonの株式のチャートだが2015年の1年間だけで130%上昇している。
あれ、Amazonって一発当てたバイベンチャーか何かだっけという勢いだ。

f:id:snowlong:20151230125119p:plain

AMZN Interactive Stock Chart | Amazon.com, Inc. Stock - Yahoo Finance

観たいときに観たいものをとりあえず観るというスタイル

これほど便利に感じるとは思わなかった。
いつまでにみなければいけないという義務感も面白いものを選ばなきゃという切迫感もない。
ただ、前から観たかったタイトルや気になったタイトルをクリックして観てみる、それだけ。 面白くなかったら途中で止めればいいし、何か中断されることが割り込んだとしてもあとで最初からみなおすことだって躊躇なくできる。
とても気楽だ。
とある動画投稿サイトみたいにいつ削除されるかわからない著作権グレーというよりは黒なコンテンツと違って、そう簡単にはなくならない(サービスが続く限り)。

ペイ・パー・ビューのVODと比較してみて、SVODの心理的意味に驚いた。
ペイ・パー・ビューだと、一つの動画を購入すると48~72時間以内にそれを見ないといけなくなる。このため、途中まで見てから気が変わって、「残りは来週見よう」ということができない。一度購入したら、気が乗らなくても、やらなければならない作業があっても、最後まで見ないといけないような、いやな気分になる。
SVODだと、これがない。
さらに、SVODだと、「試しに途中まで見て、つまらなかったら、残りは見ない」ということができる。テレビをザッピングするように、何千もの動画コンテンツをザッピングできる。

Netflix時価総額が現在50Billion、つまり6兆円くらいあるんだけども個人的にはこの時価総額は過大評価なのではと思っていた。
だけれどもこの体験はその評価を変えざるを得なかった。
ただ、Netflixがこの分野の勝者になるかは別だけれども。

過去、現在、未来

なんかここまで来るのにすごく時間がかかったなあという印象をだ。 たとえば日本のテレビ界隈だと、ライブドアニッポン放送を買収しようとしたり、ライブドアの社長が逮捕されたり、フジテレビが視聴率最下位に転落したりした。
その間に僕は自宅にテレビを置くことをやめた。

この定額サービスがいいのか悪いのかはわからない。
新しくコンテンツをつくる人には収益の配分が少なすぎて、作品のクオリティが下がってしまいユーザーが離れるかもしれない。 マーケティング手法を駆使して生まれた作品は、スマホゲーみたいにどれも同じようなものになるかもしれない。

そしてテレビ的なるものに僕たちの余暇が再び蝕まれるのかもしれない。

インターネットが登場しても僕たちは賢くならなかったしこれからも賢くなることはないだろう。 未来を予測するとき、何が変わるかよりも何が変わらないかに注目しろといったのはジェフ・ベゾスだっけタレブだっけ。
忘れたけどまあそういうことなのだ。

ジェフ・ベゾス 果てなき野望-アマゾンを創った無敵の奇才経営者

「父称」がわかればロシア文学が読みやすくなる

ドストエフスキーなんかのロシアの小説を読んでいると、 同じ人物の呼び名が複数あるという問題に出くわす。
例えば、罪と罰の主人公ラスコーリニコフの場合だと本名はロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフだが呼び名は複数ある。

と呼び名がコロコロと変わる。

罪と罰を読み始めた当初、これに慣れなくて「これは誰のことだ?」「いったいどうしてこんなわかりにくい書き方をするんだ」と思った記憶がある。
整理しながら読んでいけばちゃんと誰のことか理解できるのだが、複数の登場人物が複数の呼び名を持つというわかりにくさにとても苦労して話が面白いかどうかなんてのはさっぱりだった。

で、この前タモリ倶楽部の「東欧美人が勢ぞろい 噂のパブ ロシアンルーレットに潜入」の会にその答えがあった。
ひとりであっそういうことだったのか!と合点がいきまくりだった。
f:id:snowlong:20151230001608p:plain ロシア人の名前は
名字+名前+父称 という形式になっている。 父称というのは、父親の名前の末尾に女性ならヴナ、男性ならヴィチをつけたものだ。

ラスコーリニコフの場合だと、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ。 ロジオンが名前、ラスコーリニコフが名字、ロマーヌイチが父称だ。
なんで並びがキャプチャと違うかというと名前+父称 というのが礼儀正しい呼び方なのでこの並びになっているのだと思う。 名字+名前+父称の形式だと、ラスコーリニコフ・ロジオン・ロマーヌイチ となる。
ロシアなどは名前にそれほどバリエーションがないらしく、名前だけでは誰かが区別がつかないことが多く、名前+父称で個人を表す名称とするのが一般的らしい。

というわけで、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフだが呼び名が複数あり理由がわかった。

  • ロジオン・ロマーヌイチ → ちゃんとした呼び方、目上の人もこれで呼ぶ
  • ロージャ → 愛称、親しい間柄での呼び名
  • ラスコーリニコフ → 名字、作者が使うくらいで一般的に名字だけを呼び名に使うことは少ない。

なるほどなるほどこれで少しはロシア文学が読みやすくなったかな。

そのうち消されると思うがYouTubeに上がっていた該当するタモリ倶楽部のURLも参考に貼っておく。

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

[参考]

YouTube

http://www7a.biglobe.ne.jp/~skawashima/GoToday/EVENT/LITERARY/LITERARY_06.html

ロシア人の姓・名・父称・愛称について

カラマーゾフの兄弟・人物相関図

visual studio code 0.10.5 が起動しない

環境はOS X Yosemite.

visual studio code にアップデートできるよって表示されていたのでアップデートしたら以下の様なVisual Studio Code has crashed という表示が出て起動できなくなってしまったorz
どうやらEl Capitanでも同様の事象は発生している模様。
https://cloud.githubusercontent.com/assets/4006436/11916849/6e9be912-a725-11e5-975a-6176f2539111.png

解決策は、IMEをデフォルトのENGLISH(US) にして起動すること。

there have a temporary solution to fix this crash. u need to switch your input method to system default english(U.S.) before start vscode. then start vscode, u can switch your input method u like.
Visual Studio Code has crashed (0.10.5, os x el capitan) · Issue #1501 · Microsoft/vscode · GitHub

クラッシュしなくなる一時的な解決策がある。vscodeを起動する前に入力をシステムデフォルトenglish(U.S.)にしておいてからvscodeを起動する。それから自分の入力方式に切り替えればいい。

Switching the input method to system default english(U.S.) really works
Visual Studio Code has crashed (0.10.5, os x el capitan) · Issue #1501 · Microsoft/vscode · GitHub

入力をシステムデフォルトenglish(U.S.)にしたら本当に動いた

これで無事起動することができた。
ただ、原因を調査するためインストールしなおしたおかげでスニペットとかキーバインドなんかのもろもろ設定したのが全部消えた。

また、アプリケーションのアップデートをためらうような経験を積んでしまった。

CentOS6にnode.js環境をつくる

コマンド

Vagrant をつかってローカルの仮想マシンに構築する。

以下のコマンドを叩くだけでMacのターミナルからCentOS6にnode.js環境をつくることができる。 ただし、Vagrant + Virtual Box はインストールしている必要がある。

コマンドの説明

基本的にコマンドを叩くだけでいいので説明することはあまりない。 前半は仮想マシンの構築を行う。

## ホスト(Mac)
vagrant init bento/centos-6.7 --minimal #コメントなしでVagrantfile 作成
vagrant up
vagrant ssh

vagrant init bento/centos-6.7 ってやるとこんな感じのVagrantfileができる。

Vagrant.configure(2) do |config|                                                                   
  config.vm.box = "bento/centos-6.7"
end

config.vm.box = "bento/centos-6.7"みたいに記述すると、

https://atlas.hashicorp.com/boxes/search からbento/centos-6.7 を探してインストールしてくれる。

後半はゲストOSにログインしてnodejs のパッケージをインストールしたりする。

## ここからゲスト(centos) root権限でコマンドを実行する
# rpm -ivh http://ftp.riken.jp/Linux/fedora/epel/6/x86_64/epel-release-6-8.noarch.rpm
# yum install epel-release
# yum update
# yum install nodejs npm --enablerepo=epel
# yum install freetype
# yum install fontconfig

仮想環境は無事立ち上がったので、vagrant sshcentos にログインして必要なパッケージをインストールする。

nodejs npm は epel というパッケージにバンドルされているので yum install nodejs npm --enablerepo=epel というふうに書けばepelから探してnodejs npmその他必要なパッケージをインストールしてくれる。

EPEL リポジトリとは、CentOS 標準のリポジトリでは提供されていないパッケージを、yum コマンドでインストールすることを可能にするリポジトリのことです。
http://www.websec-room.com/2014/01/15/1535

freetype とfontconfig はnodejs を動かすのに必要なパッケージでこれがないとエラーになるので入れる。

以上でCentOS6にnode.js環境の構築は完了した。
あとはサンプルプログラムを動かしてみたり好きにすればいい。
仮想環境が壊れてもvagrant destroy でいつでも削除できるのだから。

スマホやタブレットなどいらなかったのでは

スマホタブレットがもたらしたものがこれだ。
"人間なんてしょせん、砂で山を作ったり、山を作ったときにできた穴を他のところから持ってきた砂で埋めたりしてるうちに死ぬ"とは言え、そこそこの学歴とそこそこの給料とそこそこの学歴をもっている大人たちが寄り集まっていかに他人の人生を空費させお金を浪費させるかについて人生のリソースの大部分をつぎ込んでいるというのはさすがにそれはどうなのよと思ってしまった。

こんなエントリを書いてたふろむだ氏が2日もiPadでふーるー、最高にやばい。神は死んだ。

ネットに時間を使いすぎていると思われる方は、 この際、ネットの時間を減らし、良書を読む時間を増やしてみてはいかがでしょうか。
おそらくその方が、ネットの記事も今までの何倍も深く楽しく読めるようになり、 世界が全く変わって見えることと思います。
人生も、はるかに深く豊かで心から納得のいくものになっていくかもしれません。

僕は人生に特に意味はないと思っているのでとやかくいう気はない。
ただ、このようなエントリを書く人を布団から離さなかった現代のテクノロジーがやばいのだ。どう考えてもやばい。

僕はもっと本を読もうと思う。
そして、「本を読まない人たちに対してどうこう言うことはない。僕たちが本を読んでいる時間にゲームをしようと、ファーストフード店で大声で談笑してようとそれは自由だ。」と言えるようになろう。そうしよう。

早速Amazonで本を購入だ。ん?Amazon プライム?入会するとナショナルジオグラフィックが無料で?ふむ。

お金は、遣えばなくなる。だが同時に、増やせもする。消費したお金は、お小遣い、アルバイト、仕事などでいくらでも取り戻せる。
だが時間は、取り戻せない。時間とは、全人類に平等に与えられた唯一無二の存在だ。1年 経てば必ずみんなひとつ歳を取る。そして、その時間は返ってこない。例外はない。